日常の視点

人間関係の原点

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気はこころ

先日、ご紹介頂いた上場企業の会長さまが、その席で仰っていた言葉でして、

自分はこの言葉大切にして生きて来た… つもりなんだけど。

この自分(60歳手前)よりも14歳も年下の彼の行い全てに勉強させられるのです。

1つひとつの行いに彼の真心を感じるんですよね。

さりげなく行う彼の心意気というか、配慮に対して

私は、嬉しくてうれしくて… 大好きなんだ。

【読み】

きはこころ

【意味】

気は心とは、量や額がわずかであったとしても、本人の真心の一端をあらわすものであるということ。また、気の持ちようで心が落ち着くということ。

故事ことわざ辞典

人間関係の原点

「気はこころ」という表現は、江戸時代から使われていたようで、どこの店でも辞めさせられた人が大泣きしたい気分・・・ この気持ちと同じぐらい大雨になってくれれば少しは気がはれると思ったら、3粒程度だけ雨粒が落ちて来た。大雨では無いけれど3粒の雨粒でも自分の気持ちを分かってくれた。という感じの俳句で使われていたそうです。

時代が移り変わり、殺伐とした世の中と表現されることが多くなりましたけれども、どんなにテクノロジーが進歩しても、それはツールであり、人間そのものではないという事。コンピューターやAIには、人間の心という部分は作り出せないから。

 

コミュニケーションはテクニックじゃない

人間関係の悩みが多いのは、職場・学校・家庭と様々ですが、本来は「楽しい場所」のはずです。その楽しい場所であるはずなのに、なぜ人間関係が複雑になってしまうのか?

もしかしたら、自分と違うを認めない社会になっているような気がします。

人はそれぞれ個性があって生まれも育ちも違う環境ですから、価値観や考え方が違って当然のはず、なのに組織になると「右へならえ」的に管理し、個性を認めない形を作ろうとします。
管理することは悪いことではありませんが、管理が監視になっている組織に上手くコミュニケーションが取れていないようにも見受けられるのです。

そして、コミュニケーションが上手くとれない、自分の言いたいことが伝わらない、部下が言う事を聞かなくて困っている。という人に限って、相手を言いくるめるテクニックを教えて欲しいと言ってくる。

確かに、相手に伝えるためのテクニックは存在しますが、そのテクニックを習得する前に、
相手を思いやる心を持つことが先なんじゃないかと思うんです。

 

相手の喜びが自分の喜び

自分が管理者の立場になるのは、突然やってきます。今まで、プレイヤーで頑張って来た人が、ある日突然、自分以外の人の成果までが、自分の評価に加味されます。自分も頑張らないといけないし、部下も成果があげれるように指導しなければいけなくなる。役割が増えて責任の幅も大きくなります。ここで、挫折する人がたくさんいます。自分一人で動くなら成果が出せるのだけれども、他の人を巻き込んでとなると急に能力が落ちてしまう。自分が活躍するフィールドの変化に対応できないのと、他の人を活躍させるという認識に少し隔たりがあるからです。

コミュニケーションを空間的に認識している人は特に強いのですが、自分のテリトリーはここまで、
他に人のテリトリーに入ってはいけない。
そして、仕事の領域でも同じことが言えます。これは、彼がやっている仕事だから、介入しない方が良い。
自分からはあまり口出ししない方が良い。などなど・・・
人との関係性を育むどころか、関係性に隙間や溝を作ろうとする。これでは、相手が何を求めているのか?何に困っているのか?何にチャレンジしているのか?が分かりにくくなり、お互いが疑心暗鬼になってしまったりする。

人は常に「誰かの役に立ちたい」と思って生きています。

相手が喜んでくれる事は、自分が一人で満足して喜ぶ事とは比べ物にならないぐらい嬉しい事をDNAレベルで知っているからです。

相手が喜んでくれることは一体何か?

それが自然にさりげなく出来る心・・・

「気はこころ」という言葉に繋がるなぁと感じた一時でした。

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